速記者に学べ!
私は、聞き取り能力に関しては、一応プロとしてそれなりの自信や自負もありました。けれど、ある速記事務所の仕事をさせていただいたとき、その自負もプライドもいっぺんにへしおられてしまったのです。
「誰にだって、もう絶対にここまでしか音を拾えない」と思って納品した原稿を、速記事務所の速記者が聞き直し、そして「これはこう言っているんです」と赤を入れて私のところへ原稿を戻します。そんなことが続きました。彼女と私が使っているのは、まったく同じ機材です。プロとしてフリーでどんどん仕事をしていた私は、正直いって焦りました。こんなにすごい人がいるのかと。そして、この速記事務所の仕事をするようになってから、彼女が私のひとつの目標になったのです。
その速記事務所からは、難聴テープの仕事が、どんどんやってきました。雑音にかき消されて、肝心の声がほとんど聞き取れないもの、早口で何を言っているのかわからないもの、一度に3人も4人も一ぺんに言い争いが始まり、収集がつかなくなった会議のテープ…
「もうここまでだろう」「これ以上、何度聞いても、聞こえないものは聞こえない」
そう確信して出したものを、彼女はやはりきちんと聞き分けて返してきました。いくら階段をのぼっても、彼女はいつも上のほうにいて、追いつけませんでした。
あとになって、彼女以外のいろいろな速記者の方にも、原稿を見ていただく機会がありましたが、速記者というのはものすごい能力を持っていると本当に実感しました。
はじめて速記事務所の仕事をしたのは、私がテープ起こしの仕事を始めてまだ1年少しのころでした。あれから、私も多少は腕を上げたかなと思っています。けれど、速記者は、今でもやはり私にとっての大きな目標でもあります。いくら頑張っても、自分よりすごい人が必ずいます。自分の能力が上がれば上がったで、またその次の<すごい人>に出会います。いつになっても、必ず目標にする人がいる…これは職人としては幸せなことかもしれません。
速記者の仕事
速記者の仕事は、現場に同行して会場の録音機材の設営をするところから始まります。そして、会議や講演中は速記録をとるとともに、マイクの調整、録音状態のチェックもします。2人組で出張したときには、発言者に応じて複数のマイクの切り替えをしたり、マイクのない場所で突然発言し始める者があれば、慌ててマイクをもって走ることもあります。聞き取れない言葉があれば、発言者を控えておき、休憩時間にその議員をつかまえて、「さっきのあれは、いったいどういう言葉ですか?なんと言う意味ですか?」と問いただすこともあるそうです。住民集会などでは、乱闘になったりモノが飛んで来ることもあるそうです。
現場から戻れば、あとは私たちの仕事と同じです。録音テープをトランスクライバーにかけて聞きながら、パソコンで起こしていきます。しかし、ここでも速記者の原稿は、やはり速成で技術を習得した在宅ワーカーのそれとは、そのレベルに歴然とした差があるように思います。速記学校の授業カリキュラムというものを調べてみましたが、速記文字の学習ばかりしているわけではなく、2年間かけて毎日日本語の学習に充てられています。文法の学習はもちろんのことですが、漢字の使い分け、送り仮名のルール、日本語のなりたち、発話者の心理など、実に高いレベルの勉強をしています。これらの訓練を積んだ専門家と、インスタントに速成された在宅ワーカーでは、やはり勝負にならないなと感じました。そして、質の高い原稿をつくるには、高速入力や聞き取り訓練のほかに、日本語のセンスを磨く必要がある、日本語のセンスのない人にはやはり難しい仕事だと感じています。
これからテープ起こしの勉強をする方は、ぜひ速記関係の日本語表記に関する書籍などを参考にするとよいかもしれません。難しい速記文字を学ぶ必要はありませんが、表記の方法、話し言葉を書き言葉にあらためるテクニックなどは、まさに速記の表記法に学ぶところが多くあります。